松島の風景
かき鍋クルーズ
 平成16年12月3日


  松島湾の冬の味覚である美味しい「かき」を、アツアツの「かき鍋」でいただきながら、
  島めぐりを楽しめる「かき鍋クルーズ」は、12月〜3月まで行われている冬の松島の
  定番コースの一つになっています。
  今日は、昨日までの強風がウソの様な朝から穏やかな快晴のもと、旬のカキ料理を味わい
  ながら松島湾の写真を撮るため、かき鍋クル−ズを運行している船会社に電話して予約
  完了、デジカメを持って塩釜にあるマリンゲートに向かいました。

 マリンゲート塩釜は、塩竃(注1)にある船の旅客ターミナル
 で、松島への観光遊覧船や桂島などの浦戸諸島への船の
 発着所です。飲食店や地元のお土産などを販売しているお店
 もあります。
 (注1)
 「しおがま」の地名の由来は、海水を煮て塩をつくる“かまど”(竈)のある
 場所が、そのまま地名になったといわれており、「しおがま」は「塩竃」と書く
 のが正式なそうですが、駅や道の案内板、施設などは、「塩釜」と書かれて
 いるのが多いようです。
マリンゲ−ト塩釜

  マリンゲート塩釜には、家から車で20分くらい、建物の中にある予約した会社の乗船券
  売り場の窓口で料金を支払い、11時20分発の遊覧船に乗船します。
  


乗船券
かき鍋クル−ズのパンフレット

  今回の利用したコースは、塩釜から松島まで片道1時間の島巡り遊覧とかき料理がセット
  になっているもので、料金が大人一人3,000円です。
  乗船のアナウンスに促され、船の乗り場で名前を確認され船内に入ると、丁寧に席札が
  貼ってあり、ちょっとリッチな気分になりました(^^)。

遊覧船 「第三 芭蕉丸」
予約席(二人分です)


かきフライとかき酢
メインのかき鍋(もちろん仙台味噌仕立て)

  席に着いてさっそくお約束の料理の確認、鍋の蓋を開けたら先ほど窓口からもらってきた
  パンフレットとなんら変わらない大きなカキとその量に思わず(≧ ≦)Ω ヨッシャ!
  鍋以外には、こちらも大振りなカキフライとカキ酢、お新香とミカンそれにご飯(お替り可)
  ついています。
  このコースを利用するのは、今度で2回目なのですが、正味1時間で料理を食べることと
  写真を撮ることを考えると結構ハードです。
  遊覧船のスピードは、車などと違ってそれほど速くはありませんが、撮影するポイントを
  あらかじめ頭に入れておかないと、船長さんにお願いしてバックしてもらうわけにもいかない
  ので、撮り直しが効かないものですから大変です(^_^;) 。
  
塩釜港の港奥部
船内の様子(席は三列ありました)

  今日のお客さんは、平日とあって全部で17人ほどで、船内はほぼ貸切り状態です。
  係りの人の話ですと明日の予約は100人の団体さんがあるそうで、そんな日には、船内を
  歩くのだけでも一苦労で、写真を撮るどころではなかったかも知れません。
  出航する頃には、鍋も煮え始め、まずは腹ごしらえとカキ酢やカキフライを食べながら
  かき鍋に舌鼓を打っていると、さっそく撮影ポイントに差し掛かってきたので、かき料理も
  そこそこに後ろ髪を惹かれる想いで、デッキに向かいました(;_;)。

 塩釜魚市場は、全国でも有数の水揚げを誇り、近海まぐろ
 やカツオなどが中心で、魚市場の奥には、一般の人でも買う
 ことができる塩釜仲卸市場があり、塩釜に水揚げされた鮮魚
 や水産加工品が卸価格で購入することができます。
塩釜魚市場

馬放水道を通過する間に遊漁船などが
追い越して行きました
写真の右側の小高い所が多聞山(たもんざん)の
展望地です

  出航して間もなく、塩釜港の出入り口である馬放水道(代ヶ崎水道)を通過します。
  この水道は、塩釜港に出入りする船が必ず通るところで、遊覧船や漁船はもとより大型
  の貨物船などが頻繁に航行しています。
  航路の脇にある大きな馬放島は、七ヶ浜の展望地である多聞山から眺めると桂島に架け 
  橋のように横たわる変化に富んだ島で、昔、病気や老衰で仕えられなくなった塩竃神社の
  御神馬がこの島に放され、天寿をまっとうさせたことからこの島の名前がつけられたそう
  です。

 馬放島の南端(赤印)には、昭和35年に建て
 られた塩釜海上保安部の「塩釜信号所」が
 あり、塩釜港へ出入港する船舶の安全を確保
 するため信号により塩釜航路の船の出入りを
 管制しています。
 塩釜航路は長さ約7キロメートル。幅約100
 メートル。水深9メートルと非常に狭く 長い
 航路で、塩釜港に出入りする500トン以上の
 船舶が狭い航路で交差しないように、目視等
 により、港内交通管制官が出入港信号の切り
 替えや、ほかの船舶の航行情報を提供して
 います。
 港内交通管制官は一人で信号所に泊まり
 こみ、交代で24時間勤務しているそうです。
大きな島が馬放島(まはなしじま)で右の島が地蔵島

 地蔵島には、島の端に小さな「波よけ地蔵」
 が祭られており、島の中央には、大正7年に
 建てられた白亜の灯台があり、現在は、
 ソーラーシステムの無人灯台となっています。
 この地蔵島と馬放島は、干潮の時には
 歩いて行き来することが出来るそうです。
 
地蔵島(じぞうじま)

 塩釜航路の対岸に位置する三本の高い煙突
 が建っているのが、東北電力仙台火力発電所
 です。
東北電力仙台火力発電所

 塩釜湾から外洋に出ると、大きな貨物船が
 入港してきました。
 この船も先ほどの「塩釜信号所」と交信して
 いるのかもしれません。
 
外洋

  外洋に出た遊覧船は、高遠島、沖ノ遠島、鍋島から、今度は松島に向かって針路をとり、
  松島湾でも一番有名な島である仁王島に向かいます。

 「荒き波風膝元とめて・・・。」とうたわれる仁王 
 島は、奇岩、美岩の多い松島湾でも代表的な
 特徴のある島で、何年もの永い歳月にわたる
 風雨や波の侵食により、その形から仁王島と
 呼ばれています。
 船内の案内によると、“この島は、目も口も
 あり何と口にはタバコをくわえ頭にはベレー帽
 をかぶっています”ということだそうです。
 仁王島の後ろに見えるのは、桂島の海水浴場
 です。
仁王島(におうじま)

 小藻根島には、洞門があり小さな船なら通り
 抜けることができるそうで、この穴をとおり
 抜けると長生きすると伝えられています。
 
小藻根島(こもねじま)

 鐘島には、波の浸食により出来た4つの穴が
 あり、大波が打ち寄せると鐘を打ったように
 聞こえることからつけられたそうで、橋を架け
 たようにも見えることから別名、橋かけ島
 (はしかけじま)とも呼ばれています。
鐘島(かねじま)

 遊覧船の航路のすぐ近くでは、おだやかな
 日和の中、釣り人が小船でのんびりと釣り糸
 を垂れていました。
 
釣り船



鎧島(よろいじま)
 波頭のような独特の形をした島で、どこが
 鎧に見えるのかは、今ひとつ・・・・?(^_^;)
 波頭のようにみえるところには、1羽のウミネコ
 が止まっていましたが、鳥の重みだけでも何だか
 崩れてしまいそうな感じです。

 仙台藩祖の伊達政宗公がこの島で月見
 の宴を開いたところ、「このように見渡す限
 りの視界なれば、落城の憂い無し」といった
 ことから、城がなくとも在る島と書いて、
 在城島と呼ばれようになったということだ
 そうです。
  
在城島(ざいじょうじま)



兜島(かぶとじま)
 こちらは、島の形が戦国武将の烏帽子兜に似て
 いることから、その名がついたそうです。
 そういわれてみると、先ほどの鎧島よりは、納得
 です(^^)。

 松島湾の中に入ってくると、出航してきた
 遊覧船と何隻もすれ違います。
 大きい船から小さめの船まで、平日とは
 いいながらも、湾内は賑やかです。 
松島から出航してきた遊覧船

 毘沙門島は、坂上田村麻呂が現在の五太堂
 が建っている所に、毘沙門堂を建て、後に
 滋覚大師が五大明王を安置したところ、毘沙
 門天は光を発して、この島に飛んできたこと
 から毘沙門島と呼ばれるようになったそう
 です。
毘沙門島(びしゃもんじま)

 伊達政宗公が松島湾で舟遊びをしている
 時、この島の形が良いのが気に入り、
 「あの島を仙台の城の庭に運んだものには
 千貫文を与える」といったということや他にも
 いろいろと伝説があるそうです。
  
千貫島(せんがんじま)

 この島は、大小二つの島がほど良く並んで
 いることから“二子の島”で双子島(二子島)
 と呼ばれています。
 左側の丸い島が亀の形に似ているので亀島
 で右側の細長い島が鯨の形に似ているので
 鯨島とも呼ばれています。
 
双子島(ふたごじま)

 鎌倉時代に北条時頼が、当時、瑞巌寺の
 前身であった松島寺の宗徒を追放したとき、
 滋覚大師以来所蔵していた天台の経典を
 この島に埋めた(焼いた)ので、この名が
 ついたといわれています。
経ケ島(きょうがしま)

  塩釜のマリンゲートを出航してから、およそ1時間で松島の観光桟橋が見えてきました。
  遊覧船から眺める、赤い橋の架かっている福浦島や五大堂、観瀾亭なども、陸から見る
  のとは少し違った味わいがあります。

遊覧船の右舷に松島観光桟橋が見えてきました
赤い橋が架かっている右側の島が福浦島(ふくうらじま)

 この建物は、文禄年中に豊臣秀吉から伊達
 政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、江戸
 品川の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗
 がこの地に移したものと伝えらています。
 観瀾亭は、藩主の納涼や観月などに使われ
 たことから、「月見御殿」とも呼ばれています。
 現在は、抹茶等も提供しているので、藩主や
 芭蕉の眺めた松島湾を眺め、当時に思いを
 馳せてみるのも一興かと思います。
観瀾亭(かんらんてい)

 坂上田村麻呂が蝦夷討伐のおり、毘沙門堂
 を建立し、後に滋覚大師が瑞巌寺(松島寺)
 を開く際、五大明王像を安置したことから
 五大堂といわれるようになったそうで、現在
 の建物は、伊達政宗公が再建したもので、
 国の重要文化財に指定されています。
五大堂(ごだいどう)

 雪の松島湾を熱いかき鍋をたべながら眺めるのも、おつな
 ものですが、おいしい旬のかきをいただきながら、冬ばれの
 穏やかな松島湾の島巡りを楽しむのもいいものです。
 塩釜からアッという間の船旅でしたが、充分に楽しむことが
 できました。
 帰りは、贅沢にも見晴らしの良いポカポカのグリーン船室で、
 松島湾の昼寝の旅を満喫しました(-_-)zzz。
松島観光桟橋に到着。

 ※ 松島湾で大型遊覧船による「かき鍋クルーズ」を行っているのは、二社ありますが、
    期間は、12月1日から翌年の3月末頃までで、会社によっては運航日や島巡りの
    コースなど多少違いがあるようです。


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