『おいらの田んぼ』  だった! 


  
  私の住む磯崎地区は、「日本三景 松島」 のなかでも古くから半農半漁の生活を

 営んでいる人が多く、最近は時代の流れとともに街並みも変わりつつありますが街の

 東には、昭和43年に松島湾の一部(手樽浦)を干拓して造られた約100ヘクタール

 の水田地帯が広がり、先人の苦労もあって今では古くからある水田よりも、さらに

 おいしいお米が出来るまでになりました。

  干拓するために造られた全長480メートルの堤防は、海浜公園として整備され

 潮干狩りやいも煮会など、住民のレクリェーションの場として親しまれています。

  又、明治33年と大正4年には私の曾祖父である澁谷甚之丞が当時松島湾の

 小さな入り江であったところを自分で役所の許可を受けて水田として埋め立てを

 行い、現在では干拓地の水田と共に毎年おいしいお米を実らせています。


     
               【全景】

     

      写真の中央が、昭和43年に国営干拓事業として宮城県が代行
      して、干拓した水田です。(青印の部分が私の家の田んぼです)
      赤印のところは、私の曾祖父である澁谷甚之丞が明治33年と
      大正4年に埋立の許可をうけ埋め立てた水田です。

    

 【干拓堤防】

  

    干拓堤防の左側の防風林の向こうが水田、右側が松島湾です。

 


  昭和43年に県の国営代行事業で
  手樽湾を干拓した水田です




 

 
  明治・大正時代に私の曾祖父が
  入り江を埋め立てして出来た水田
  です




明治・大正時代に入り江を埋め立てた水田】に関する資料
   
     
 

      明治・大正の埋め立てに関する図面のうち大正4年に北ノ窪湾の
      埋立許可の申請をしたときの図面です 
      

   

 図面左下の拡大で、埋立て願人 
 渋谷甚之丞と書かれています
 
 
  
 図面右下の拡大で、埋めて願い出の
 場所や面積が記載されています

 (面積の記載については当時の測量技術
  等の関係からか実際とは多少の相違が
  あるようです)



 
  土地登記簿謄本の土地表示の記載が
  されている表題部

 



  土地登記簿謄本の所有権の記載が
  されている甲区欄



     


  

  上の部分の拡大で、明治40年に
  田んぼの登記がされています


    
  
  上の部分の拡大で、渋谷甚之丞の
  所有権の登記がされています


  土地登記簿謄本については、現在は法務局のコンピュータ化により閉鎖された 
    登記簿の謄本を掲載しています


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『おいらの田んぼ』  澁谷 啓
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